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日本人とグローバルファンド Vol.6 稲場雅紀氏

2019年9月2日
日本人とグローバルファンド Vol.6 稲場雅紀氏

 

ドナー国側の市民社会の人間としての責務

インタビュー 稲場雅紀氏(NPO法人アフリカ日本協議会 国際保健ディレクター)

1990年代から一貫してエイズ・アドボカシーに取り組み、TICADやSDGsでも日本の市民社会の代表の一人である稲場雅紀さん(グローバルファンド日本委員会アドバイザリーボードメンバー)に、NGOの活動の目指すところやグローバルファンドの先進国NGO代表団メンバーとして活動していた時のエピソードについてお話をうかがいました。(7月8日インタビュー)


市民社会の地位を上げるための活動

― ご多忙のところ、やっとインタビューに応じていただけました。たくさんの肩書きで活躍されています。

NPO法人アフリカ日本協議会で国際保健ディレクターというのがベースですが、2016年からSDGs市民社会ネットワークの事務局責任者を務め、今は政策担当顧問をやっています。今年のG20でもNGO、市民社会側でフォーラムC20が合わせて持たれました。前回開催国のアルゼンチン、次回のサウジアラビアと連携して開催しなければならず、去年などアルゼンチンへ3度も通いました。NGOの声を取りまとめて、議長である安倍総理に提言書を提出する大仕事が、ようやくカタがつきつつあるというところです。

― そうした活動の目指すものはなんなのでしょう。

端的にいえば市民社会、つまりNGOの地位を上げるということでしょう。まだまだNGOの地位が低すぎて、いろいろな面で軽く見られたり妨害をされることもあるわけです。国際会議などでも控え室をずいぶん遠くにあてがわれたり、Tシャツのデザインが示威行為だから脱げと言われたり、資料や情報を回してもらえなかったり。そのたびにすったもんだがあるわけです。理念は理念として、実際には現場のゴタゴタ仕事とその処理に振り回されているのも一面の事実です(苦笑)。

 

ゲイ活動家からエイズや国際保健のアドボケーターへ

― どういう流れで現在の活動に至ったのでしょうか?

私は90年代の初め頃からゲイのNGOに参加し、アドボカシー活動ーーおもにエイズ対策やアジア諸国との連携を担当しました。1994年に横浜で開かれた国際エイズ会議に参加したあと、95年からはアジア・太平洋地域エイズ国際会議(ICAAP)にも毎回出かけました。東南アジアではゲイ団体が抑圧される一方、エイズ活動をハブにして、トランスジェンダーのセックスワーカー、ドラッグユーザー、ホームレス支援の人などが合流し、そのなかでゲイの人権活動も再構築する状況に接し、とても勉強になりました。また、現地活動家とも、個人的人脈ができてきた。

90年代末から2000年代初期、エイズの課題は途上国での治療アクセスと製薬メーカーの知的財産権をめぐる議論が焦点化していました。アフリカ日本協議会でもその課題に取り組みたいと人を探していたとき、大学の先輩がかかわっていたことから、ゲイでエイズのことにも知見がある私が誘われ、2002年に移りました。知的財産権の議論にはすでに治療が優先という決着がつきはじめていましたが、私にとってアフリカが、エイズを含む国際保健とマイノリティの人権活動をめぐる新たなフィールドになったのです。

 

― アフリカにはもともと興味があったのですか?

反植民地闘争など一般的な知識しかありませんでしたが、入職早々、沖縄感染症イニシアティブの調査でナイジェリアに行ったのが最初のアフリカ体験でした。首都郊外のスラム街でセックスワーカー対象の啓発の見学だとか、普通の日本人なら行く機会のないところへ行けて勉強になりました。同時に、ナイジェリアに展開している国際的なNGOがどんな仕事の仕方をしているのかを目の当たりにして、ものすごく刺激を受けました。

この時期、努めていろいろな助成や案件調査を取って、アフリカを訪れるようにもしました。ナミビアの団体の女性にインタビューすると、日本語のエイズ啓発パンフレットを送ってほしい、と。ナミビアはカツオ船団の寄港地で、そこで日本人船員への性感染症啓発の必要があるというのです。地球の反対側での、不思議なつながりを感じました。

― アフリカの課題に腰をすえようと思った転機はありますか。

2003年3月に、アフリカ、アジア、ラテンアメリカでのエイズ治療アクセスを高めるための国際治療準備連合(ITPC)の結成会議にケープタウンへ行った経験が大きかった。エイズにかかわる活動家やキーパーソンが世界中から来ていて、どの国にどんな団体があり、どういう人がいるか、一気にわかりました。

おなじころ、NYでラディカルなエイズ活動団体であるACT UPメンバーと会うと、彼らはヘルスギャップ連合 (Health Global Access Project)という先鋭的な活動を展開していました。国境なき医師団に参加していった人たちもいます。かつてゲイ・レズビアンの解放運動をやっていた人たちのなかに、2000年代以降、世界のエイズ・アクティビズムへ参入していった活動家がたくさんいます。オランダなど、みんなそうでした。治療アクセス改善もLGBTの権利擁護も、人権という観点では共通です。

― 海外ではよくある、ゲイ活動家からエイズや国際保健のグローバルな活動家へ至るコースをたどった人は、日本では稲場さんぐらいでしょう。まったく在野の叩き上げですね。

アフリカの市民社会は、米国のラディカルなエイズ・ムーブメントにとても影響を受けています。アパルトヘイトや帝国主義に抵抗した延長で、治療をよこせと、ガンガン製薬メーカー批判をしていました。私自身もゲイ運動にかかわった経緯もあり、現地の活動家と息が合ったということもあります。

アフリカ開発会議(TICAD)が現地で毎年閣僚会議をするようになってからは、さらに訪問した国も増えたし、在京のアフリカ諸国大使館との連携や日本の専門家との人脈も深まりました。そうなるとエイズや保健に限定していられなく、いつのまにかアフリカ専門家の末席に入るようになってしまいました(笑)。

 

欧米の活動家に怒鳴られた初理事会

― 一方、2004年からグローバルファンドの理事会に、先進国NGO理事団のメンバーとして参加するようになります。

いや、これがまた大変な話で(苦笑)。ご承知のように議決権20票の理事会には先進国NGOとして1票あり、そのために10人のメンバーを組んで参加しています。私が参加する以前は、欧米のNGO活動家にとって日本は「不毛の地」で、誰も知っている活動家がいない。そこに私が知られるようになったので、声がかかりました。

 

― 当時はどんな課題が焦点だったのですか。

グローバルファンドが始まったばかりの頃は、資金が集まったらその都度「案件募集」をやって途上国に支払うといったもので、実施国からすれば資金繰りの見通しがつきませんでした。また、逆にドナー国からすれば、援助を外交の手段にする余地があるわけです。それを止めさせ、いつお金が渡るかハッキリさせることが援助論一般でも主流になったのが2000年代の前半で、グローバルファンドもそう転換するわけですが、実はそれにもっとも抵抗をしていたのが米国と日本でした。

先進国NGO団として日米とちゃんと交渉しないといけないのだけど、米政府と交渉できるアメリカの活動家は多々いるが、日本政府へ働きかけできる日本の活動家がいない……。

ところが2004年の春、知り合いのアクトアップの活動家から、今度、先進国NGO団の団長でフランス人のエレンという女性が日本へ行くからイベントをしろと言われ、たまたま神戸ICCAPに向けて組んでいたネットワークを活かして大慌てでなにかやったら(笑)、エレンが喜んで、「日本にもちゃんと活動家がいたわ。マサキ、来てちょうだい」と。理事団に参加することになりました。

私も軽い気持ちで受けたら、会議直前にものすごい量の資料が送られてきて、腰を抜かしました。でも、どうせみんなも読んでないだろうと思ってタンザニアの会議場へ行ったら、全員きっちり読んできていて(そりゃ英語はネイティブですから)、ガンガン議論して、まいったなあ……と。それで私がなにか言い訳をしたら、当時、先進国NGO団をまとめていた古株のエイズNGOリーダーであるリチャード・ブルジンスキという人から、「日本人のお前がなにを言いたいかわかっている。そんなつもりで来られたら困るんだよ」とすごまれて、もう生きた心地もしませんでした。

今では懇意のブルジンスキ氏とともに. 2016年12月 於JCIE

 

― 理事会ではどんな役回りをするのですか。

会議はまず先進国NGO団で1日、途上国や当事者代表団とのすり合わせを1日、そのあと必要に応じて個別の詰めの会議をやり、そして理事会本体が2日あります。日本・外務省の代表団も来るから折衝をしたり、聞き込んできた情報を仲間へ報告したり、私にもそれなりに役目がありますが、はじめの3日間の準備会議は欧米の活動家が丁々発止やりあうのに揉まれるばかり。いまなら多少は英語もましになりましたが、当事はまだまだ。2009年まで5年間やりましたが、最後まで、資料を予習しても予習してもついていくのがやっとでした。

 

― 欧米の「プロ」の活動家の凄みを感じますね。

おまけに先進国NGOは、欧米のドナー国が、調査官や大統領直属オフィサーを連れてきて、途上国側の保健大臣や活動家を裏で分断したり、味方に引き入れたり。これに対して先進国NGO側が、実施国側や当事者NGOと連携して、というより肩を支え、後押しし、ときには尻も叩いて、ドナー側の権謀術数、海千山千の行政官や専門家を相手に激烈な戦いをするのですから、先進国NGO団は相当気合が入っているし、医療・医薬でも国際情勢でもかなり勉強しないと立ち向かえないんです。ある年のわれわれの代表はアクトアップ・フィラデルフィア出身の戦闘的なレズビアン活動家でしたけど、「今回の理事会はFIGHT TO HELLだ、このDOG FIGHTを勝ち抜こう」と発破をかけてました。

 

― 国際会議の舞台裏は本当に厳しい。そこに5年もいたとは。

私も次の人を育てようと頑張ったのですが、英語の堪能な人はいくらもいるでしょうが、こういう鉄火場になじむ活動家となると……。2009年ごろになると、こちらも北海道洞爺湖サミットなどで激忙になるし、むこうも今度はオーストラリアの活動家を入れたいという思惑もあり、やっと私もおひまが出ました。それ以後、先進国NGO理事団への日本人の継続的な参加はありません。

しかし、その後も日本のいろんな保健や国際協力のアドボカシーをコーディネートしたり、APCASO(アジア太平洋エイズ・サービス組織評議会)の理事も務めたりしています。いまはグローバルファンド理事会以外にも、その周囲にいろいろNGOのネットワークができて外から影響力を及ぼす戦略もとられていますので、私もそれらの組織に理事として参加し、いまでも直接・間接にグローバルファンドには関わり続けているといえるでしょう。

 

活動家としての次の姿を考える

― 近年はMDGsやSDGsのテーマにも取り組んでいます。

フィリピン・ミンダナオ島のとある保健センターで(UHCの調査で訪問)

エイズのことだけやるのでは、外務省の国際保健の担当の人としか折衝がもてません。グローバルファンドへの取り組みを日本できちんと進めていくには、MDGsやSDGsなど大きな枠組みに乗せ、市民社会の側からもビジョンを示し、さまざまな団体が連合するかたちで取り組んでいかないといけません。

実際、日本はグローバルヘルス政策で世界でも要の役目を果たし、国際機関や多国間での政策形成では台風の目になっています。日本が推進しているユニバーサル・ヘルス・カバレッジも、G7伊勢志摩サミットを経て定着してきている。それをより公正なものにするには、市民社会がもっともっとコミットする必要があります。

また、今回のグローバルファンドの増資のプロセスにおいても、支援先現地のグラスルーツの声を届けるのはわれわれNGOです。JCIEはグローバルファンドの幹部や日本のハイレベル層との関係が強いですね。民間側でそういう暗黙の役割分担がとれていることに感謝していますし、お互いの信頼感もあります。そうやって、さまざまなプラットフォームを通じ、G20やSDGsなどに対し市民社会が声と課題をもちより、力をつけていくことが大事です。

 

― なぜ、こうした活動に稲場さんは身を置き続けるのでしょう。

90年代のゲイ運動経験ももちろんですが、80年代末の学生時代に横浜・寿町の寄せ場運動にかかわって触れた、日雇い労働者の人たちの「黙って野たれ死ぬな!」という支配層への怨念のような思いの衝撃は、いまでも貧困やエイズと闘う人々への共感の原点にあると思います。

のちにグローバルファンドの先進国NGO理事団に加わったときも、ドナー国の市民社会側の人間として、日本政府に「きちんと」責任を果たしてもらい、グローバルファンドを通じて世界を少しでも公正なものにしていきたい、しなければだめだという思いもありました。ときに日本政府側の人と激しく対立せざるをえない場面もありましたが、それはドナー国の内側にいるものの「責務」とも考えてきました。

 

― 「本国」内の人間として、それを今後も続けていく……。

ただ、30代、40代はハードワークな“武闘派”として政府を突き上げる姿もありえますが、50歳にもなると違う動き方をしないといけないとも思うのです。確かに叩き上げの活動家として、私はJCIEが培ってきたようなエスタブリッシュメント層との連携とは違う道を歩いてきました。米国といえば反発の対象と見る面もありましたが、最近は、国際社会は日米関係を含めもっと重層的、複眼的に見る必要があると思っています。創設者の山本正さん以来、JCIEが培ってきた日米関係の厚みとその力に、あらためて気づかされます。

社会のハイレベルにある権力や資金を市民社会・NGOへ還流させないと、市民社会は結局干上がってしまいます。その働きかけのためには、そういう人々のいる“生態系”へ身を置く必要もありますが、そのための資格ーー議員、行政官、審議会の専門家、研究者、ジャーナリスト、経営者ーーには、私は縁遠く生きてきた。

アフリカのNGO支援などのまったくのグラスルーツへ戻るのか、それとも市民社会側なりの戦略をもってある種のハイソサエティに参入することを考えなければならないのか。50歳、60歳で果たすべき役割を考えたとき、どう自分のあり方を変えてゆくか、海外の活動家の背中を見ながら考えています。

保健人材の調査で訪問したケニア西部、赤道直下(2010年、ケニア)

インタビュアー 編集協力エディター
永易至文

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BACK NUMBER

グローバルファンド日本委員会(FGFJ)では、過去にグローバルファンドと関わりのあった日本人をインタビューし、「日本人(わたし)とグローバルファンド」というコラムでウェブサイトに掲載しています。バックナンバーは下記からご覧ください。

 

日本人とグローバルファンド Vol.5  (2019年5月)

「ビジネスに応えた緊張感が命のミッションへ向かうとき」

髙山眞木子氏(グローバルファンド渉外局ドナーリレーションズ専門官)

日本人とグローバルファンド Vol.4  (2019年1月)

「外交官がグローバルファンドの「ファン」になった理由(わけ)」
山本栄二氏 (外務省特命全権大使(国際テロ対策・組織犯罪対策協力担当兼北極担当)

日本人とグローバルファンド Vol.3  (2018年11月)

「現地女性のエンパワーメントに伴走して私のライフワークを見つけた」
瀬古素子氏 (ガーナ保健省UHC政策アドバイザー)

日本人とグローバルファンド Vol.2  (2018年7月)

「最後は私という人間を信頼してもらえるか。国際機関で知った理解の基本」
長嶺由衣子氏 (千葉大学予防医学センター特任研究員、医師)

日本人とグローバルファンド vol.1   (2018年年4月)

「このお金を無駄にしてはいけない、人の命を救いたい。心はみな一致していました」
井戸田一朗氏 (しらかば診療所院長)

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